77歳にして戦場に立ち、関東最強の北条軍と戦った女性武将がいました。それは家名を守るため、そして愛する息子を助けるために命を賭したのです。
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齢77歳にして戦場に立つ
戦国時代最強の女性武将というと誰を思い出すでしょうか。大河ドラマにもなった井伊直虎でしょうか、または織田信長に対峙した悲劇の女城主のおつやの方でしょうか、もしくは、のぼうの城の忍城城主の娘で豊臣軍と剣を交えた甲斐姫でしょうか。
実は、平均寿命が30歳台と言われている戦国時代に、77歳にして軍団を指揮して北条軍と戦った女武将がいました。名は妙院尼輝子。
上野国(今の群馬県)金山城主の由良国繋の母親で、城主の国繁が北条氏に捕らわれた後、71歳で金山城で北条軍を相手に籠城戦を行い、77歳で豊臣秀吉の小田原征伐に軍隊を率いて参陣。
その功から北条側に寝返った息子の国繁は助命され、常陸国(現在の茨城県)牛久5400石が与えられました。
牛久城に入城した妙院尼は、その4年後の1594年に81歳で没し得月院に葬られました。
ちなみに、前出の甲斐姫は妙院尼の孫にあたります。
その後、牛久城は国繁、そして子の貞繁が継いで由良家の名を明治時代まで残しましたが、牛久城は1623年に廃城となり、現在では空堀と土塁の一部が残るのみとなっています。
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