
数時間で陥落した山中城と、三カ月守りきった韮山城
国道1号線を箱根から三島へと走る途中に山中城跡があります。 戦国時代の関東の覇者、北条氏の重要拠点を担った山城で、1590年3月、豊臣秀吉本隊との戦いの火蓋が切られた場所です。北条氏は、始祖の北条早雲が伊豆国、相模国(神奈川県)を支配し、その後、二代目氏綱、三代目氏康により関東の大部分を支配する大大名となりました。しかし、五代目氏直の時代は既に戦国の世が秀吉によって終結されようとしていた時であり、その流れを見誤った北条氏は豊臣秀吉と対決することになります。

山中城~山城だったのを対豊臣用に要塞化し ましたが、豊臣軍の猛攻を受け、数時間で落城。戦後は廃城となりました。同城は街道(現国道1号)を城内 に取り込み関所的な役割もしていました。 三島方面に国道を下ると視界が開け駿河湾が一望出来ることから鑑みて、 敵の動きもつぶさに見て取れたと思 われます。
対戦時の国力は、北条氏が9か国240万石に対し、豊臣氏の支配地域は 58 か国で約 1700万石。兵力は北条軍の5万に対し豊臣軍 22 万。豊臣軍の分団が北条氏の支城を攻撃し始める中、3月 29 日に豊 臣軍本隊約7万の兵が4千の北条軍が守る山中城を攻撃。僅か数時間で山中城は落城し、結果、豊臣軍本隊を難なく北条氏の本城がある小田原に入れることとなり、その約三か月後の7月5日、北条氏直が降伏。関東の覇者北条家は終焉を迎えることとなりました。
コメント