■小谷城~浅井長政

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浅井長政とお市の方、そして数奇な人生を歩んだ三人の娘たちが過ごした城

北近江(滋賀県)の戦国大名である浅井氏の3代目当主の浅井長政は、当時、美濃国(岐阜県)の斎藤氏と対峙していた織田信長の妹のお市の方と婚姻をし、信長と義兄弟となりました。しかし、1570年に織田信長が徳川家康と共に越前国(福井県)の朝倉氏を攻めた際に、浅井氏は信長を裏切り、朝倉氏と共に織田・徳川軍を挟撃。木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の働きなどにより窮地を脱した信長は、1570年に姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍に勝利。その後、武田信玄の死去などにより織田信長の包囲網が弱まった中で、改めて1573年に信長は北近江に攻め入りました。朝倉氏の援軍が駆け付けたものの、逆に朝倉軍は織田軍に攻められ、そのまま越前国に攻め込まられて朝倉氏は滅亡しました。その後、浅井氏の居城の小谷城での織田軍との籠城戦となりました。

小谷城入り口

さて、小谷城ですが、琵琶湖の北東部にあります標高495mの小谷山に造られた山城で、日本五大山城のひとつにも数えられています。小谷山の尾根を生かした南北に長い大規模な城です。

ですので、小谷城のすべてを回ろうとしますと1日がかりになります。今回は時間がなかったため残念ながら入り口の番所跡だけ見るに留まりましたが、番所跡近くに小谷城中腹駐車場がありますので、そこにバイクを止めれば本丸までは歩いて500mほどの距離になります。途中には御茶屋や浅井長政が自決した赤尾屋敷跡などが点在していますので、とりあえず本丸まで散策されるだけでも小谷城の雰囲気を味わえると思います。

番所跡
番所跡

番所跡から道を少し下ったところに追手道があり、そして、その先に望笙峠があります。

望笙峠からは織田信長が陣地を張った虎御前山城を望むことができ、織田軍に囲まれた小谷城兵の気持ちを少しだけでも感じることができます。

望笙峠
望笙峠

羽柴秀吉の活躍などもあり、小谷城は陥落。浅井長政は、妻のお市の方と3人の娘を信長に託して自害をしました。享年28歳。ここに浅井氏は滅亡をしました。浅井氏の血を継ぐ3人に娘たちですが、長女の茶々は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の側室となり豊臣秀頼を生み、淀君として豊臣家の最後を共にしました。次女の初は戦国大名で若狭国小浜藩初代藩主の京極高次の正室となり天寿を全うしました。三女の江は徳川家康の嗣子の徳川秀忠に再嫁し、江戸幕府3代将軍の家光を産みました。また、江は現令和天皇の先祖でもあり、浅井の血は今もなお繋がれています。

浅井長政 お市像

小谷城の近くにありますJR宿毛駅のロータリーには浅井長政 お市像が立っていて、二人仲睦まじく並んで座っていました。

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