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徳川氏vs武田氏の最前線の城
静岡県浜松市の天竜区にあります二俣城跡。戦国時代、武田氏と徳川氏が攻防を繰り広げたお城です。また、徳川家康の嫡男である信康が、疑念をかけられて切腹したお城でもあります。
二俣城は今川氏によって築かれた城ですが、今川義元が桶狭間の戦いで亡くなり、後に今川家が滅びると、この地は三河の徳川家康と甲斐の武田信玄により攻防が広がるようになりました。
1572年に、武田信玄が上洛を目指して西上する際に、武田勝頼軍が同城を攻城し、落城。その勢いをかって、武田軍は遠州に入り、三方ヶ原の戦いになりました。
武田信玄の死後、再び同城は武田氏と徳川氏との攻防線になりましたが、1575年に長篠の戦で武田軍が負けた後、徳川軍が二俣城のそばに鳥羽山城を築いて本陣を置き、二俣城を落城させました。
その後は徳川氏の城として続きましたが、1579年に、織田信長に嫌疑をかけられた家康の嫡子の松平信康が、この城で自刃しています。
そして、1600年に同城は廃城となりました。
二俣城跡には、今は、小さな天守台が本丸にポツンと残っていて、風情を感じさせてくれます。尚、鳥羽山城の跡は公園になっていて、桜の名所にもなっています。
武田氏と徳川氏の戦いが繰り広げられた天竜川沿いの地に立つ二つの城跡ですが、攻城戦用に要塞化された二俣城と、庭園などがあり迎賓館的な性格の強い鳥羽山城と、雰囲気の違う二城を見比べてみるのも、各城の時代の流れも感じられて面白いかもしれません。
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