一夜では出来ないかなり立派なお城
1590年、天下をほぼその手中に収めた豊臣秀吉は、関東の覇者、北条家を討つために大軍を率い、北条軍の支城を次々に落とし、そして本城の小田原城に迫りました。その際に、小田原城の西にある笠懸山の山頂に、豊臣秀吉の本陣用に築いたのが石垣山城です。
俗に言う石垣山の一夜城ですが、決して一晩で作られたわけではなくて、3~4万人の人夫で約80日間かかって建築。完成後に、周囲の樹々を伐採して見せたことから、あたかも一晩で作られたように思われたという話しが残ることから、一夜城と言われています。
実際に一夜城という名前が強いのですが、実際に現地に行ってみますと、かなり立派なお城だったことが伺えます。
石垣山の結構急な道をバイクで登ると、観光バスが何台も止まれるような無料の大型駐車場があり、そこにバイクを置いてお城へと登城します。
少し登りますと、石垣山城の案内があり、本格的なお城だったことが分かります。小田原城同様にARで疑似に見るポイントもあるようです。
5分ほど歩きますと、石垣と二の丸が見えてきます。
石垣山城と言われるほどの立派な石垣が残っていました。同城は、関東で最初に造られた総石垣の城だそうです。
そして、広い芝生の二の丸跡に出ます。そこから少し登ると、本丸跡、そして若干小高くなっている天守台跡があります。
そして、そして、素晴らしいのがここの展望台からの景色です。
小田原の街と湘南を一望できます。ここからは、各所に配備されている豊臣軍の各軍団や水軍を眺め見れて、かなり壮観な景色だったことでしょう。
二の丸から本丸側と逆に進むと、途中、櫓台跡があります。今は樹々に囲まれて景観は望めませんが、ここからは小田原城が丸見えだったと思われます。
三の丸にある展望台からは、早川方面を眺め見ることが出来ます。この他にも、井戸跡や出丸跡などもあり、秀吉が千利休にお茶をたてさせたり、朝廷の使者を迎えたなど、天下統一のエンターティメント的な舞台だったような気がします。
ちなみに、伊達政宗が死を覚悟して白装束で現れたり、その政宗に自分の刀を持たせて城内を案内させたり、徳川家康と並んで用を足しながら家康に関東への移封の話しをしたり、という逸話の場所はこの石垣山城になります。
実際に、同城が完成してから(一夜城と北条氏の眼前に現れてから)10日後に北条軍は降伏しました。
そんな歴史を持つ石垣山城ですが、日本の名城100選にも選ばれていてターンパイクの早川入口からすぐのところにありますので、是非、その景観を見に行くだけでも立ち寄られて見られる事をお勧めいたします。
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