戦国最弱な武将の本城
昨今、戦国最弱の武将として有名になった小田氏治。筑波山の麓に小田城に居を構えるも、越後の上杉謙信や相模の北条氏康、常陸の佐竹義重などの戦国大名の狭間に立たされ、幾度も小田城を失陥したことで、戦国最弱と揶揄されるようになったようです。
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しかし、逆に言いますと、それらの著名武将と戦い小田城を失陥しつつも、再び戦に勝利し城を奪還しているところが凄いところ。実際、生涯に40回以上の戦を行い、戦歴は五分五分。その中で討ち死にせずに氏治は生き延びて小田城を奪還し、また失陥しと戦い続けていますから、これは凄いことだと思います。ちなみに奪還数は8回にも及んだとのことです。
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最終的には、豊臣秀吉の小田原の戦いに参戦しなかったことで、所領は没収され小田氏は滅亡となりますが、氏治は結城秀康の家臣となり関ヶ原の戦い以後の1601年に没しています。
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戦の腕はともかくとして、氏治は鎌倉時代以降400年に渡り同地を治世した小田氏の領主として地元の人々には愛されていたようで、人望や人徳に優れていたようです。
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弱肉強食の戦国時代の最中、上杉謙信や佐竹義重らと戦い挑み、負けてもまた居城を奪還した小田氏治は、決して戦国最弱ではなく、戦国時代を戦い抜き、領民にも愛された素晴らしい戦国大名だと思います。
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小田城址の無料駐車場内には「小田城跡歴史ひろば案内所」があり、小田氏15代、400年の歴史が綴られています。入館は無料で小田氏や小田城の造詣を深く知ることができますので、もし、筑波山方面にツーリングに行かれるようでしたら、立ち寄られて見られることをお勧め致します。
ちなみに、小田氏と対峙した常陸国の大名の佐竹氏の武将で、鬼真壁と恐れられた真壁氏幹が城主だった真壁城が、小田城から筑波山向こうに約20kmほど走ったところにあるので(こんな近くにあるんだ…という感じです)、合わせて見てみるのも乙なものです。
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