「粋」と「通」の町
江戸屈指の盛り場の「浅草」。
江戸時代、名所番付で別格の横綱だった浅草寺をはじめ、花見の名所の墨田川があり、今なお、年中お祭りや市が楽しめる東京きっての名所です。今回は、人気の浅草寺や仲見世等の喧騒から外れ、電車が百貨店の中に吸い込まれていく東武浅草駅より北の静かで風情のある北浅草をぷらっとツーリングしてみました。
まずは、雷門に。
ちなみに、駐輪所は雷門の前の地下に雷門地下駐車場があり二輪は30分50円で止められます。チェーンロック式のため、駐車券を取らずにそのまま進むと、二輪駐車スペースがあります。但し、収納台数が12台ですので、週末などは埋まっていることもあります。
そして、雷門を抜けて仲見世に。
ぷらぷらするのが楽しい仲見世。せっかくなら、人形焼きやおせんべいなどを買って、お上りさん気分でお土産を見るのも一興です。また、近くには天丼の有名店の大黒屋もあります。
仲見世を歩き、浅草寺で参拝した後、一度、駐車場に戻りバイクに乗って、浅草寺脇にある姥ヶ池跡に。昔、老婆が旅人に石を落として殺していたという石枕伝説のある地だが、今は閑静な公園になっています。
そこから言問通りを挟んであるのが、多くの歌舞伎の芝居小屋が並び、江戸町民が集った猿若町です。今で言えば、東京ドームと武道館が並んであるような場所でしたが、今はオフィスビルに挟まれて石碑があるのみです。当時の面影は全くないです。
そして、遊客たちが船に乗って遊楽街の新吉原に通ったという山谷堀に。今は堀も埋め立てられて憩いの場となっています。
やがて、吉原の遊郭の入口があった、吉原大門交差点に着。
江戸初期に、日本橋にあった幕府公許の遊郭がこの地に移り、吉原と呼ばれました。交差点の角には、吉原を後にした客たちが名残惜しんで振り返ったことから名付けられた見返り柳があります。そして、外から遊郭が見えないように、くの字に曲がった五十間道を抜けると、遊女たちが抜け出せないよう堀に囲まれた遊郭への唯一の出入り口だった吉原大門跡に。
まっすぐに伸びたこの道沿いに、当時は引手茶屋が並び、その奥には二百数十件もの姑楼があり、二千人以上もの遊女たちが暮らしていたそうです。幅3.6mの堀に囲まれたこの地で、遊女たちは「生まれては苦界 死しては浄閑寺」と一生を終えたそうです。。
□新吉原
日本橋の人形町にあった吉原遊郭が1657年の明暦の大火により焼失し、その後、浅草の現在の地に移り新吉原と呼ばれるようになりました。江戸の文化やファッションの一端も担ってきた場所ですが、過酷な労働と粗食で病死し無縁仏として埋葬された遊女たちは20代が多かったようで、その影も大きいかったようです。尚、幾度もの大火により当時を偲ぶ史跡は少ないですが、ここに江戸随一の通の花街があったことを想像するだに感慨深くなります。
近くに、「あしたのジョー」が育った所として有名な泪橋がありますので寄ってみました。
道沿いに矢吹ジョーの像が立っていて、泪橋という交差点もあり、なんか雰囲気のある場所です。
バイクならではのストップ&ゴーで、北浅草界隈の名所をぷらっと回りましたが、それだけでも歴史を感じさせてもらい、いろいろ考えさせられる体験が出来ました。これもまた、ツーリングの良さかもしれません。そして僕は今、このようにバイクに乗って自由にツーリングを楽しめることを感謝しつつ、吉原界隈を後にしました。
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