来てください。ふつうに
※こちらの記事は、2014年の夏に取材したものです。
もう三年、まだ三年…。時間が経つとともに、記憶も薄れつつあります。でも、ここに来て見ると、風化どころか全然まだまだ、今もなお震災は続いています。消えた街並み、倒壊した建物、高台にある仮設住宅の数々。街の跡を更地にし、山を削り、土を盛り、地盤を上げる。街が、変わっていきます。被災にあった方々の事を思うと、今、自分がここに居ていいのか悩んでしまいます。
高台から見た女川の風景に言葉を失った僕は、近くの仮設店舗に入り、お店の方を見かけると、つい思っていたことが口に出てしまいました。
「ツーリングで来たんですけど…いいんですか、来て。」
すると、お店の方はとて気さくな感じで答えてくれました。
「来てください。ふつうに」
もちろん、まだ、観光なんて言葉はおこがましくて使えませんが、三年経った今、ライダーが出来ること、そして、ライダーだからこそ出来ること、それは、映像ではなく現地に来てリアルにそれを肌で感じること。そして、ここで食事を取り、宿に泊まり、ガソリンを入れよう。それが復興の一助となるのですから…
どんどん復興は進み、遺構は取り壊され、残念ですけれど、徐々にその記憶は薄れていきます。だからこそ、「今こそ、ここに来るべき」ではないか、と。
今年の夏、是非、バイクの針路を北に向けてみて、そして、少しだけ勇気を持って被災地の方に声をかけて欲しいです。必ず、自分の中の何かが変わるはずです。
心の中に思うものを感じながら走る
今回、行きは常磐道を使っていくことにしました。できるだけ海岸線沿いに…という思惑があったからです。もちろん、福島の立入禁止地区にある高速部分は走れないので、いわきジャンクションを左に入り郡山JCTで東北自動車道に入りました。そのまま北上し、三陸自動車道の松島海岸ICで降りて、最初の目的地の松島に着。
道中には津波の被害にあったと思われる場所がここそこに見られ、土木作業が各所で行われ、そして土砂を積んだダンプが砂塵を巻き上げて行き来していました。松島海岸辺りは既に改修が行われていましたが、海岸線を走る道沿いに軒を連ねる土産店のは津波がここまで来たという印が書かれていて、その凄さを改めて感じられました。とはいえ、シンボルの五大堂も残っていて、既に多くの観光客で賑わっていたのは、さすがは日本三景です。
松島は観光客が多いだけに、グルメも豊富。店舗の軒先で、牛タンや牡蠣を販売していて目の肥やしにもなります。
松島の周辺には二輪駐車場はないですが、五大堂や端厳寺は必見。また、無料駐車場がある大高森展望台もお勧めです。ただし、距離800m徒歩15分の道のりは結構しんどいです。
続いて、石巻市に。
特徴的な形をした、漫画家の石ノ森萬画館を眺めつつ、津波の甚大な被害があった女川町に。
多くの工事車両が動き回る中、ポツンポツンと、コンクリートの建物が倒れて残る荒涼とした風景を見て、言葉を失う。この風景を忘れることはないでしょう。
しばし、黙祷をさせて頂きました…
この後、出来るだけ海岸線沿いを走りましたが、とにかく工事車両が多くて、トラックが巻き上げる土塵が目に入ります。
あるところで地元のおばあさんと話しをする機会がありました。その場所は入江の奥の方にありながらも、津波の被害をほとんど受けなかったといいました。被災地の近くの場所でも地形等で、その被害は全く違ったのだと知り驚きました。
海岸線沿いは、地図上にあった道がなくなっていたり、通れなくなっていて、なかなか走れませんでしたが、それでも、大川や南三陸といった被災地を走りつつ、心の中に思うものを感じました。
やがて、気仙沼の石井崎・潮吹き岩に。晴れていたらさぞ、好景観でしょうが生憎の曇天模様。それでも、波の勢いで岩の間からたまに上がる海水を眺めつつ、岩手へと向かいました。
陸前高田に入り、そろそろ宿を…と探してみましたら、なんと市内に(たぶん)2軒しか宿が稼働しておらず、1軒の方でなんとか部屋が取れました。その宿について分かったのですが、同宿は高台にあるた、津波は逃れられたらしいです。
翌日に陸前高田(旧)市街に入りその光景を目の当たりして、安易に「行けば宿があるだろう」と甘い考えをしていたことに猛省しました…
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