土の城から石の城、破城へと城郭の変遷を知る上での貴重な遺構が残る城跡
令和6年12月20日(金)に開催された文化庁の文化審議会文化財分科会で、岐阜県高山市松倉町の「松倉城跡」が国史跡の指定案件として答申されました。市の国史跡指定は、昭和55年(1980)の堂之上遺跡(久々野町)以来で、今回の指定により5例目となります。今後官報告示を経て、正式な決定となります。
松倉城跡は、16世紀後半に高山盆地に進出した飛騨地方南部の領主三木氏の拠点で、標高856.7メートルの松倉山山頂に築かれた山城跡です。尾根筋に堀切や曲輪を設け、山頂部には石垣で囲まれた本丸、二ノ丸、三ノ丸があります。
本丸とその南西に伸びる三ノ丸には、5~8メートルの高さで、中には長さ2メートルを超える巨石を用い、隅角部に算木積みを志向する高石垣が築かれています。一方、本丸の東にある二ノ丸では、北側と南側に小型の石材を用いた低い石垣が、東側に大部分を中小石材で築いた2段の石垣が見られます。粗い石積みや竪堀、堀切などを用いて北側と東側を意識した遺構と、高石垣を築き西側と南側を防御しようとする2系統の城郭遺構から、土造りの城から石垣を持つ城への2段階で築城されたことが想定されます。三木氏による当初の築城と、その後の改修によるものと考えられます。
また、三ノ丸の埋門や虎口が崩された石垣の石材などで埋められており、石垣が大きく崩されている本丸の北側と同様に、破城(城を使用できないように石垣や門といった防御施設等を破壊すること)が行われた痕跡があります。
戦国時代の飛騨地方の政治状況や、土造りの城から石垣を持つ城、そして破城という城郭の歴史を知る上できわめて重要な遺跡として評価されました。
松倉城跡の概要
文化財の種類:史跡
文化財の名称:松倉城跡(まつくらじょうあと)
時代:室町時代
所在地:岐阜県高山市松倉町2059番地 外25筆
面積:55,396m2
主な遺構:石垣、曲輪、堀切、竪堀、出枡形虎口、埋門(うずみもん)
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