幕末の志士と鯉

萩・津和野と言いますと、修学旅行のコースが思い出されますが、改めて幕末の志士のことを知って訪ねますと造詣を深く感じられます。特に萩市内は幕末の志士たちの史跡が数多くあり、普通にゆっくり見て回りましたら半日以上、幕末好きな方が訪れましたらゆうに1日はかかってしまうほどの充実ぶりで、そのあたりの時間配分も大切かもしれません。山口県の北エリアは○○スカイラインのような爽快路が少ないので、カルストロードに寄っていますがこれは好き好きで。萩城や須佐ホルンフェルス、津和野など、観光的な見どころが多いツーリングプランです。
総走行距離~約165km
萩への最寄りICは山陰自動車道(国道191号線)の萩ICになりますが、下関方面からぐるっと回ってきますため、前出いたしました秋吉台経由にはなりますが、山陽自動車道の美祢JCTから国道490号線に入り、秋吉台ICで下りてカルストロードで秋吉台を抜けた後に(もしくはそのまま国道を走り続け)、再び国道490号線に入り、そのまま萩市内に入るというルートもあります。

ちなみに、海岸線沿いで萩市街に入る前に三玉という好眺望地がありますので、国道191号線(山陰自動車道)で萩市に入られる方は、途中の明石ICで高速を下りて、(道の駅 萩・さんさん三見があります)海沿いの道を走って三玉に寄るのもありかと存じます。
さて、橋本川と松本川に挟まれた萩市街ですが、まずは市街の南端にありますのが藍場川に。ミニ津和野的な小川に鯉が流れる風情な場所で、普通の生活地のため観光客がほぼいないのも嬉しいところです。桂太郎の旧宅もあります。
萩~江戸時代に長州藩主の毛利氏の本拠地となった城下町で、幕末には吉田松陰が主宰した私塾の松下村塾より多くの偉人を輩出しました。また、萩市内にあります5つの資産が「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されています。
そして、西側の橋本川の川べりには特徴的な鍵曲があります重要伝統的建造物保存地区の平安古があります。
そのまま国道191号線で市の中心部へと向かいますと、途中に久坂玄瑞誕生地があり、そして、萩市役所の前には、日本最大級の木造校舎で幕末から明治の長州のことがよくわかる、主に上流の武家の子息たちが通った萩の藩校の萩・明倫学舎があります。
その北側に復元されました唐樋札場跡高札場があり、再び西へと向かいますと、木戸孝允旧宅や高杉晋作誕生地などのある萩城城下町、及び歴史街道の菊屋横丁などがあります。
まさに幕末の志士たちがこの地にいたかと思いますと、気分が高まります。もし幕末や明治維新後の長州の歴史をより深く知りたい方は、その先の萩博物館に寄られて見られますと、いろいろな資料が展示されていて、より造詣が深くなります。そしてその西に進みますと、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋があり昔ながらの長屋を見れますので、是非とも立ち寄りお勧めです。そしてその先には西ノ浜という風情ある浜があり、浜の東側には萩城があります。

萩城は、関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元が周防国・長門国の2ヶ国に減封となったため、広島城から萩に移り築城したお城です。その後、明治の廃城令が発布されるまでの江戸時代の250年間、この城が長州藩主の居城となっていました。廃城令により場内の建物は壊され、残った石垣が往時を偲ばせてくれます。
そして、萩城の東にありますのが菊ヶ浜です。
萩城の向こうに指月山が見える綺麗な砂浜です。そしてその近くには、旧周布家長屋門や旧益田家物見矢倉という歴史を感じさせてくれる建物があります。
その後、東へと向かい、雁島橋で松本川を渡った後、山陰本線を潜り南下しますと、幕末の志士たちを多く輩出しました松下村塾があります。そしてその周辺には吉田松陰歴史館や松陰神社など吉田松陰にまつわる建築物があります。
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