城跡・古戦場– category –
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城跡・古戦場
■長篠の戦い~織田・徳川軍vs武田軍
【】 1575年、武田勝頼軍1万2千人と織田信長・徳川家康連合軍3万5千人が戦った長篠設楽原の戦い。織田徳川軍が馬を防ぐ柵を建て、そこから鉄砲を三段撃ちの分業で連射して武田の騎馬隊を壊滅させたとされ、鉄砲により戦術の歴史を変えた戦いとも言われてい... -
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■高天神城~武田軍vs徳川軍
【】 静岡県掛川市の地に佇む、高天神城。 海抜132mという小山ながら、難攻不落の城で、武田軍と徳川軍がその地の支配のために3度にもわたり戦いが行われた山城でもあります。 同城跡には北側からと南側からアクセスが可能で。メインの入口は北側からにな... -
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■山中城・韮山城~豊臣軍 vs 北条軍
約450年前、戦国時代の日本では各地で武将たちが覇権を争う戦 いが繰り広げられていました。その、“兵どもの夢の跡”を今に残す城 跡・古戦場を巡り、彼らの想いや戦い方に触れる旅に出てみました。 堀の中を敵兵が自由に動けないようにする「畝堀」や「障... -
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■三増峠の戦い~武田軍 vs 北条軍
【】 今から遡ること450年前の1569年10月、相模国の三増峠の麓で、戦死者数4,000人とも言われる武田軍と北条軍との壮絶な戦がありました。地形の高低差を活かした戦国史上最大の山岳戦です。 三増合戦場碑〜武田家史書「甲陽軍鑑」によると、同戦の戦死者... -
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■忍城~成田軍 vs 石田軍
【】 □忍城~15世紀の中頃、地元の豪族である成田氏が築城。関東の七名城のひとつにも挙げられています。北条氏康や上杉謙信との戦いでも落城せず、豊臣秀吉の小田原征伐の際の石田三成率いる大軍による水攻めにも屈せず、小田原城開城以降まで持ちこたえ...
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