江戸時代には、女性が願う離縁を国家権力によって実現した群馬県太田市の満徳寺。現在は、縁結びもできる歴史的パワースポットとして人気を博しています!
流してスッキリ!縁切・縁結厠

群馬県太田市の「縁切寺満徳寺資料館」では、江戸時代に女性たちの救済を担った“縁切り寺”としての歴史や文化を紹介する展示を公開しています。
そして、いまや資料館の代名詞ともなった「縁切・縁結厠(かわや)」。あまたの縁切りが実現した満徳寺の歴史的な立地と、西日本の寺院に実在した「縁切・縁結厠」を掛け合わせた、太田市の人気のスポットです。お札に縁切りと縁結びそれぞれの願い事を書いて専用の厠で流します。「切りたいのに切れない」「結びたいのに結べない」ーそんなモヤモヤもお札に託せば、水に溶けて流れて気分がスッキリしますよ!

この度、縁切・縁結厠にスポットを当てたPR動画を公開しましたので、ぜひご覧ください!
トイレで縁結び!?群馬の不思議なパワースポット「縁切寺満徳寺」(太田市公式YouTube)
なぜ縁切り寺と呼ばれるの?


女性差別が厳しかった江戸時代、夫婦の離婚には夫が妻に書き渡す「離縁状」いわゆる「三行半(みくだりはん)」が必要でした。夫が離婚を認めない時、満徳寺に女性が駆け込むと、寺社奉行の助けを借りて、夫に離縁状を強制的に書かせることができました。つまり満徳寺は、女性が願う離縁を国家権力によって実現できる場所だった、と言えます。
「世界に二つの縁切り寺」・・・千姫と徳川家の絆

歴史上で国家(江戸幕府)の“公認”を受けた縁切り寺は、満徳寺と鎌倉の東慶寺の二寺しかありません。なぜこの二寺なのか、その理由は徳川家康の孫娘「千姫」にありました。
千姫は7歳で豊臣秀頼に嫁ぎ、大坂夏の陣で豊臣家が滅ぶと徳川方へ戻りました。そして徳川発祥の地とされる現・徳川町にあり、創建以来の縁切り寺であった満徳寺で千姫が豊臣家との縁切りを行ったとされ、縁切り寺としての揺るぎない由緒を持つことになりました。
また、豊臣秀頼と側室の間に生まれた女の子を、大坂夏の陣において、千姫は助命のために養子に取りました。この子は後に、東慶寺に入って尼になり、天秀尼(てんしゅうに)と名乗りました。そして家康と面会した際に天秀尼は、「東慶寺は古来と変わらず縁切り寺であり続けたい」と願い出たと言われています。こうして千姫とのご縁を結んだこの二寺が、「世界に二つの縁切り寺として後世に伝わることになったのです。
全国的にも珍しい歴史資料館にぜひお越しください!

縁切寺満徳寺資料館は、近年では「女性の自由」や「ジェンダーの歴史」を考える場所としても注目されており、全国的にも珍しい“縁切寺”をテーマにした資料館として多くの来館者が訪れています。群馬県にお越しの際には、ぜひお立ち寄りください!
施設概要
【縁切寺満徳寺資料館】
開館時間:午前9時30分〜午後5時(入館は4時30分まで)
※月曜日(祝日の場合は翌日)は休館です。
場 所:群馬県太田市徳川町385ー1
入 館 料:200円(中学生以下は無料、20人以上の団体は1人160円)
駐 車 場:乗用車14台・バス4台分
※同館南側の県道298号線沿いにあります。













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