■萩・津和野(ツーリングルート)

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幕末の志士と鯉

吉田松陰達の銅像(山口県萩市)

萩・津和野と言いますと、修学旅行のコースが思い出されますが、改めて幕末の志士のことを知って訪ねますと造詣を深く感じられます。特に萩市内は幕末の志士たちの史跡が数多くあり、普通にゆっくり見て回りましたら半日以上、幕末好きな方が訪れましたらゆうに1日はかかってしまうほどの充実ぶりで、そのあたりの時間配分も大切かもしれません。山口県の北エリアは○○スカイラインのような爽快路が少ないので、カルストロードに寄っていますがこれは好き好きで。萩城や須佐ホルンフェルス、津和野など、観光的な見どころが多いツーリングプランです。

総走行距離~約165km

萩への最寄りICは山陰自動車道(国道191号線)の萩ICになりますが、下関方面からぐるっと回ってきますため、前出いたしました秋吉台経由にはなりますが、山陽自動車道の美祢JCTから国道490号線に入り、秋吉台ICで下りてカルストロードで秋吉台を抜けた後に(もしくはそのまま国道を走り続け)、再び国道490号線に入り、そのまま萩市内に入るというルートもあります。

秋吉台カルストロード

ちなみに、海岸線沿いで萩市街に入る前に三玉という好眺望地がありますので、国道191号線(山陰自動車道)で萩市に入られる方は、途中の明石ICで高速を下りて、(道の駅 萩・さんさん三見があります)海沿いの道を走って三玉に寄るのもありかと存じます。

さて、橋本川と松本川に挟まれた萩市街ですが、まずは市街の南端にありますのが藍場川に。ミニ津和野的な小川に鯉が流れる風情な場所で、普通の生活地のため観光客がほぼいないのも嬉しいところです。桂太郎の旧宅もあります。

~江戸時代に長州藩主の毛利氏の本拠地となった城下町で、幕末には吉田松陰が主宰した私塾の松下村塾より多くの偉人を輩出しました。また、萩市内にあります5つの資産が「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されています。

そして、西側の橋本川の川べりには特徴的な鍵曲があります重要伝統的建造物保存地区の平安古があります。

そのまま国道191号線で市の中心部へと向かいますと、途中に久坂玄瑞誕生地があり、そして、萩市役所の前には、日本最大級の木造校舎で幕末から明治の長州のことがよくわかる、主に上流の武家の子息たちが通った萩の藩校の萩・明倫学舎があります。

その北側に復元されました唐樋札場跡高札場があり、再び西へと向かいますと、木戸孝允旧宅や高杉晋作誕生地などのある萩城城下町、及び歴史街道の菊屋横丁などがあります。

まさに幕末の志士たちがこの地にいたかと思いますと、気分が高まります。もし幕末や明治維新後の長州の歴史をより深く知りたい方は、その先の萩博物館に寄られて見られますと、いろいろな資料が展示されていて、より造詣が深くなります。そしてその西に進みますと、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋があり昔ながらの長屋を見れますので、是非とも立ち寄りお勧めです。そしてその先には西ノ浜という風情ある浜があり、浜の東側には萩城があります。

西ノ浜より指月山を望む

萩城は、関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元が周防国・長門国の2ヶ国に減封となったため、広島城から萩に移り築城したお城です。その後、明治の廃城令が発布されるまでの江戸時代の250年間、この城が長州藩主の居城となっていました。廃城令により場内の建物は壊され、残った石垣が往時を偲ばせてくれます。

そして、萩城の東にありますのが菊ヶ浜です。

萩城の向こうに指月山が見える綺麗な砂浜です。そしてその近くには、旧周布家長屋門や旧益田家物見矢倉という歴史を感じさせてくれる建物があります。

その後、東へと向かい、雁島橋で松本川を渡った後、山陰本線を潜り南下しますと、幕末の志士たちを多く輩出しました松下村塾があります。そしてその周辺には吉田松陰歴史館や松陰神社など吉田松陰にまつわる建築物があります。

松下村塾 ~江戸時代の末期に、萩城下の松本村に吉田松陰の叔父が開いた私塾です。1857年より吉田松陰が同塾を引き継ぎ、後に倒幕を行う高杉晋作や久坂玄瑞、初代総理大臣となった伊藤博文や、山県有朋などを輩出しましたが、1892年(明治25年)に閉塾しました。世界遺産。

やはり、より萩を、そして幕末の志士たち活躍を知るためにも、萩に来る前には、簡単でも良いので吉田松陰や松下村塾の塾生であった志士たちについて、軽くでも知って訪ねると、より造詣深く歴史に接せられると思います。そして、松下村塾の南には、初代総理大臣となりました伊藤博文の旧宅や別宅跡が残っています。その東へ向かいますと、吉田松陰の生誕の地、吉田松陰のお墓があり、萩藩主毛利家の墓所があります国重要文化財の東光寺に着きます。

東光寺大雄宝殿

ちなみにそのすぐ南には陶芸の村公園という萩市が一望できる公園がありますので、是非立ち寄って行きたいところです。時間があれば、その北にあります奥萩展望台からはより広く萩町や日本海の景観を一望できます。

さて、そのまま県道11号線を走り、途中で一般道に入り進みますと世界遺産の萩反射炉に着きます。

そして、国道191号線に入り(少し戻りますと地物の名産が食べられる「道の駅 萩しーまーと」があります)少し先に行きますと、小さな半島の高台に笠山山頂展望台があり、その昔、六島村と呼ばれた島々の眺望を望むことが出来ます。

笠山山頂展望台

再び国道191号線に戻り、海沿いを走って行きます。国道191号線は幹線ですので車通りはありますが、ずっと左側に海が見え、右に山陰本線が並行して走っているため爽快感を味わえる道です。 笠山山頂展望台 から国道191号線を15kmほど走った高台に木与地区の棚田があり、そこから6kmほど走ったところにある宇田港の先に、間近に海が見れる三穂神社があります。そして、その先で山陰本線に沿って県道343号線に入りますと、山陰本線が白須川を渡る惣郷川橋梁があります。

鉄道写真家には著名な場所ですが、そうでなくても風情を楽しめる場所です。そのまま県道を進むことも出来ますが、狭道で時間もかかりますため、一度国道191号線に戻って、再び進んだ方が良いようです。さて、国道で幾つかトンネルを越えますと、須佐の町に入ります。ここから海沿いの県道305号線を走って行きますと、須佐の町から4kmほど走り須佐ホルンフェルスに到着します。

須佐ホルンフェルス約1400万年前のマグマの熱の影響で出来た地層。本来、高山山麓の露出した地層全体が須佐ホルンフェルスで、白と黒の縞模様の海蝕崖はその中の畳岩と言われる場所で、ホルンフェルス(接触変成岩)の程度は弱く須佐ホルンフェルス最外縁部になります。「日本の地質百選」や「21世紀に残す日本の風景遺産100選」に選ばれています。無料駐車場あり。

白と黒の断層のコントラストが美しく、壮大な場所です。是非、立寄りたい萩を代表する景勝地です。

再び来た道を戻り、国道191号線入り東上しつつ、すぐに国道315号線に入り南下します。そして途中で県道124号線に入り、そのまま津和野へと向かいます。ちなみに道中には畳ヶ淵という立派な柱状節理のある渓谷があります。

畳ヶ淵

また、あの佐々木小次郎のお墓も少し離れた場所にあります。さて、そのまま県道124号線を走り島根県に入り、旧堀氏庭園を過ぎますと、やがて津和野に到着します。

津和野~島根県の南西部にある町で、江戸時代は津和野藩亀井氏の城下町として栄えました。明治・大正期の文豪森鷗外の出生地でもあります。当時の風情が今なお残り、山陰の小京都とも呼ばれています。国重要無形民俗文化財。

津和野藩亀井氏の城下町でした津和野は、今に残るその雰囲気から山陰の小京都とも呼ばれ、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。そんな津和野のお勧めスポットは、ほぼ完全な形で石垣が保存されていて津和野を一望できる津和野城址のほか、鯉が泳いでいる武家屋敷通りや、白壁が綺麗な殿町通り、風情のある本町通り、どんな願い事もかなう太鼓谷稲成神社、隠れキリシタンの悲しい歴史が残る乙女峠マリア聖堂などがあり、そしてJR津和野駅前には機関車のD51が展示されています。

太鼓谷稲成神社の千本稲荷

そして、津和野を後にして、県道226号線を走り、突き当りの県道3号線を左折して、少し走りますと、昭和テイストでお勧めの「かきのき温泉はとのゆ」があり、国道187号線に出ます。ここを右折して高津川沿いに南下していきますと、中国自動車道の六日町ICに入り、帰路に着くことが出来ます。

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