思い立ったがマグロ丼!
首都圏からアクセスがよく、逗子や葉山、横須賀などのブランドタウンがあることからお洒落なイメージがある三浦半島ですが、実は常に戦、そして要衝地としての歴史を辿ってきました。
半島名の由来ともなり平安時代には半島一帯を領地としていた三浦氏ですが、源頼朝の挙兵に帯同して鎌倉幕府を興した立役者となったものの、後に執権の北条氏との幕府内での権力闘争に敗れ、主家は滅亡。その後、三浦氏の傍系が半島を領土としましたが、相模で勢力を急速に拡大していた北条早雲との戦いに敗れ、三浦氏は滅亡した。以降、千読時代は北条氏の領地となり、半島は安房の里見氏との争いの場ともなりました。
江戸時代に入り、三浦半島は江戸湾を守る要として諸藩が沿岸の警備につきましたが、1853年にペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に上陸し、ある意味、それが引き金ともなり明治維新を迎えました。その後、国防の拠点として横須賀に海軍の本拠地が設けられ、日露戦争の旗艦「三笠」の本籍地ともなり、首都東京を防衛するための東京湾要塞として、猿島や千代ヶ崎、観音崎ほか半島の各所に砲台や高射砲が設置されました。
今なお、三浦半島にはそれらの戦争遺跡が数多く残されており、当時を偲ぶことができます。
◇横須賀
三浦半島最大の都市。在日アメリカ海軍や海上自衛隊の基地があるため、港内にいろいろな軍艦を見ることが出来ます。また、海軍カレーやヨコスカネイビーバーガーの発祥の地であり、随所に異国感も感じられて、ぷらっと訪ねて楽しい街です。
さて、平成13年に自治体らによってえらばれた三浦半島の新「八景」。三浦半島を一周するように選定されているため、三浦半島をツーリングするのにもいいコースになっています。今回、この八景を見に三浦半島を回ってみました。
・「灯台(燈明堂)の帰帆」(※帰帆~(夕暮れ時に)船が港に戻る様)
浦賀にある燈明堂は、1648年に建設された和式灯台で、明治時代までその灯りを東京湾に灯し続けたまし。幾度も崩壊し、その都度再建されましたが、洋式の観音崎灯台が出来、その役目を終えました。石垣のみ残されていましたが、1989年に復元されました。Pあり。
・「猿島の晴嵐」(※晴嵐~春、または秋)
東京湾に浮かぶ無人島の猿島。バイクで渡島は出来ませんが、バイクを置いて三笠公園から連絡船で10分ほどで行けます(往復:1200円)。要塞の島として砲台や兵舎が作られたため戦争遺跡が多く残っており、国史跡に指定されまし。小一時間で全島を見ることができます。
・「神武寺の晩鐘」(※晩鐘~沈んでいく夕日とお寺の鐘楼)
神武寺は逗子にある724年創建の古刹で、かながわの景勝50選、及び逗子八景にも選ばれています。鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によると、源頼朝が崇敬し源実朝も参詣したとのこと。鐘楼は1859年に鋳られました。参拝用の駐車場あり。ただし駐車場まで急坂(舗装路)なので走行注意で。
◇鎌倉
1180年に源頼朝がこの地に入り、平家滅亡の後、鎌倉幕府を開きました。源氏の将軍が三代で途絶えた後、執権の北条氏が実権を握り、約150年にもわたる鎌倉幕府を形成しました。市内には多くの国宝や当時の史跡が残っており、世界遺産暫定リストにも登録されています。市街地は渋滞しがちですが、バイクだと意外と回りやすい町です。
・「大佛の秋月」(※秋月~秋の夜の月)
大佛とは高徳院にある鎌倉大仏のことで、正式名称は鋳造阿弥陀如来像。国宝である。高さは約11.3mで、1252年頃に造営が始まったといわれる。拝観時間 8時~17時30分(10月~3月 8時~17時) 拝観料 大人200円(有料駐車場あり)。
・「建長寺の暮雪」(※暮雪~夕方もしくは夜の雪景色)
1253年の創建で鎌倉五山の第一位の建長寺。日本で最初の禅寺でもあります。梵鐘ほか国宝を3点、仏殿や山門など20数点もの重要文化財を保持します。拝観時間 8時30分~16時30分 拝観料 大人300円(有料駐車場あり)。
・「大塔の夜雨」(※夜雨~夜の雨)
大塔(大塔宮)とは鎌倉宮の別名です。1869年、明治天皇によって悲運の護良親王を祀るために創られた神社で、日本の歴史上唯一、天皇自らが創建した神社でもあります。親王が幽閉されたと伝わる土牢や親王の像あり。拝観時間 9時30分~16時30分 拝観料 大人300円(参拝者用駐車場あり)。
・「城ヶ島の落雁」(※飛んでいる雁の群れ)
三浦半島の最南端にある自然島の城ケ崎。源頼朝が訪ねたり北原白秋が誌を詠んだりと古来からの景勝地でありながら、里見氏が戦のための砦を作ったり、戦時中は砲台を置かれるなどの歴史も合わせ持ちます。1960年に城ヶ島大橋が開通し島への往来が至便になりました。多くのウミウが飛来するウミウ展望台あり(有料駐車場あり)。なお、城ケ崎対岸の三崎では国内有数のマグロの水揚げ高を誇り、美味しいマグロ料理を食せます。
・「長者が崎の夕照」(※夕照~夕日と赤い水面)
三浦半島から相模湾に突き出た岬の長者が崎。戦国時代、この地で三浦軍と北条軍の戦いがあり、その戦いで岬の一部が崩落したことから大崩壊(おおくずれ)と呼ばれていました。各詩人が詩を詠んでいる景勝地でありますが、戦時中には砲台が置かれていました。夕日が富士山や伊豆半島を赤く染める様は幻想的です。駐車場あり(休日有料)。
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