家康の散歩道とバイク発祥の地
徳川家康というと信長や秀吉に比べて人気が薄い感じがしますが、実は二百六十年もの太平の世を創ってくれたすごいお方。おかげで日本の人口が爆発的に増え(18世紀初頭の江戸の人口は世界一だったともいわれてます)、たぶん自分の祖先となる人が生まれてそれで今の自分がいてツーリングが出来ているのだと思うと、もっと感謝されてもいい英傑なはずです。
その家康が17年間城主で居たのが浜松城で、ここで武田信玄にこてんぱんにされ、信長が謀反にあったときに命からがら逃げ戻り、天下をかけて秀吉と戦いました。そんな苦労人家康にまつわるいろいろな史跡が「家康の散歩道」として紹介されています。
今回は、そんな家康の足跡を辿りつつ風光明媚な浜松の観光地をぷらっと巡ってみました。
◇家康の散歩道
家康との戦いに敗れた浜松城の前身の引間城(現東照宮)の女城主、お田鶴の方を哀れみ、築山御前が彼女が討ち死にした場所に椿を植えたことから名付いた椿姫を祀る椿姫観音や、武田信玄との三方ヶ原の戦いで家康が一矢を報い武田勢をその崖下に滑落させた犀ヶ崖など、そんな家康にまつわる旧跡を辿る「散歩道」が市で設定されています。資料はMAPはHPで入手が可能です。
【コース】徳川秀忠公誕生の井戸→椿姫観音→東照宮→家康鎧掛松→犀ヶ崖古戦場(資料館)→西来院→太刀洗の池(※一部省略)
□悲劇のヒロイン 築山御前
家康の正室でありながら、織田信長の勘気に触れ家康によって長男の信康と共に殺害されました。享年38歳。妻と息子を手に掛けなければならなかった家康の悲嘆。戦国の世、ならではの悲劇です。
ちなみに浜松では5月にお祭りがあり、その時市内を練る屋台の蔵がここそこで見かけられて風情を感じられます。
また、市内には大昔の人たちが貝や獣の骨を捨てた場所である貝塚(蜆塚遺跡:しじみづかかいづか)があります。
史跡公園内には当時の住居などが復元されていて見ごたえがあり、幹線沿いにありますのでぷらっと立ち寄ってみるのもいいかもしれません。
そのまま南下するとスズキ本社があり、西の方に向かうと、家康の第二子(結城秀康)の生家の国重文の中村屋住宅があります。
そこからさらに西に向かい、浜名湖に突き当たるあたりに前出した浮見堂があります。
そして、そのままは浜名湖沿いに南下すると、浜名湖のシンボルの弁天島の鳥居があります。鳥居越しの夕日は必見です。
そこから更に南下すると、東海道の旧宿の舞阪宿跡に着きます。
北雁木という木造の灯篭があるほか、風情のある町並みが残っていて、至る所で名産のしらすが食べられます。
そして、国道1号線(浜名バイパス)で浜名湖を渡り、新居弁天ICで降りて隣りの湖西市に。まずは、浜名湖岬にある今切パークに。
そこでプチ南国間に浸りながら、新居関所跡に向かう途中、旧東海道の場所に松並木を見ることが出来ます。
そして、新居関所跡に。
新居関所跡は、入館に300円かかりますが、全体を見るだけなら入場しなくても外からがっつり見れるのがいいです。さて、再び浜名バイパスを通って、浜松市に。
国道1号線から海近くの道(海は見えませんが)に入ると、やがて中田島砂丘に到着。
中田島砂丘のメインの入口の近くに大型の駐車場があり、アクセスしやすいですが、日本三大砂丘だけあって広くて海までかなり歩きますし、靴の中に砂が入るので、海まで歩いて行くかはお好み次第で。ちなみに、浜松はバイク国内3メーカーの発祥の地でもあり、最盛期には市内に30社以上ものバイクメーカーがあったとか。
本田宗一郎氏も川上源一氏も鈴木道雄氏も浜松出身で、バイク乗りとしてはとっても馴染み深い場所でもあり、ある意味、日本の「バイクの聖地」と言っても過言ではない『浜松』。その発祥の地巡りも楽しいかもしれません。
また、前出したしらすのほか、浜松にはグルメもたくさんあります。有名どころは、やはり、うなぎと餃子ですね。
いろいろな史跡やグルマがある浜松。“やらまいか精神”を信条とする遠州浜松で徳川家康やバイク創業者達の史跡を巡って、その情熱や心意気を感じ取ってみてはいかがでしょうか。
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