東海(日本100名城)

犬山城(愛知県)

織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康と、三英傑を生んだ愛知県には、ゆかりのお城が多く残されています。その中で、信長が天下布武の足掛かりとなった岐阜城や、秀吉が北条征伐で北条軍と対峙した山中城、徳川家康の生誕の城の岡崎城に、家康が晩年を過ごした駿河城、そして、尾張徳川家の居城の名古屋城などが100名城に選ばれています。そのほか、岩村城や長篠城など、戦場となり物語を持つお城も選ばれています。

1.岩村城 2.岐阜城 3.山中城 4.駿府城 5.掛川城 6.犬山城 7.名古屋城 8.岡崎城 9.長篠城 10.上野城 11.松坂城

■岐阜県

38.岩村城 (岐阜県恵那市)

悲哀な女城主おつやの方

岩村城跡

標高717mの城山に建てられた山城で、諸藩の居城では最も高い場所にあり日本三大山城にも数えられています。鎌倉時代の1221年によって築かれた城で、以降、遠山氏の居城となりました。1571年に城主の遠山景任が亡くなると織田信長は5男の勝長を遠山氏の養子として入城させ、景任の妻だったおつやの方が後見人として、まだ幼い勝長に代わり城主てして采配を振るいました。1573年、武田軍に攻められた際に武田家武将の秋山信友との政略結婚により開場。1575年、織田軍が攻城し落城。おつやの方と秋山信友は処刑されました。以降、入城した河尻秀隆などの城主により改築され、江戸時代は岩村藩として松平氏の居城となりました。1873年に廃城令により城は解体。石垣のみになりましたが保存状態が良く、曲輪や井戸などが残っています。霧がよく発生することから霧ヶ城とも呼ばれています。

39.岐阜城 (岐阜県岐阜市)

織田信長 天下布武のお城

岐阜城

標高329mの稲葉山に建てられた城で、戦国時代には斎藤道三の居城となりました。1554年に長男の義龍に城を譲り道三は隠居するも、1556年の長良川の戦いで義龍と戦い道三は討死。その後、義龍の急死により嫡子の義興が城主に。1567年に織田信長が稲葉山城を攻め、攻略。信長はそのまま城に入り同地を天下布武の足掛かりとして岐阜と改め、1576年には信長の嫡子の信忠が城主となりました。関ヶ原の戦いの時には、城主の織田秀信が西軍に付いたことで前哨戦となる岐阜城の戦いが行われ落城。その後、1601年に廃城となりました。1910年の明治43年に再建するも1943年に失火で焼失。1956年に鉄筋コンクリート製の模擬天守が建てられました。天守展望台からは好景観が望めます。国史跡。

■静岡県

40.山中城 (静岡県三島市)

北条氏独自の築城方法が分かる城

山中城跡

北条氏康が本拠地の小田原城を守る西の防御拠点として築城した山城で、東海道を城内に取り込んでいるのが特徴です。1590年に豊臣秀吉による小田原征伐で、豊臣秀次率いる豊臣軍7万に対して城兵3千人で応戦するも半日で落城。その後、城は廃城となりました。1973年から整備が行われました。畝堀や障子堀の構造などが保存整備され、北条氏特有の築城方法を知ることができます。国史跡。

41.駿府城 (静岡県静岡市)

徳川家康が晩年を過ごした城

駿府城

駿河国の領主でした今川氏の館があった場所に、1585年に同地に入った徳川家康により築城されたお城です。1590年に家康が関東に移封されると豊臣家大名の中村一氏が同城に入りました。江戸時代になり、秀忠に将軍職を譲った徳川家康か駿府城に入り、大御所として晩年を送りました。その後1633年からは幕府直轄地となりました。1635年に天守を焼失。再建されないまま明治に入り、1869年に城内の建物が撤去。巽櫓や東御門などが復元され、現在は駿府城公園として一般公開されています。

42.掛川城 (静岡県掛川市)

小山評定で真っ先に開城を申し出た山内一豊の城

掛川城

室町時代中期に駿河国守護の今川氏が家臣の朝比奈氏に命じて築城しました。そのまま同城には朝比奈氏代々が入るも、1568年に徳川家康の攻撃により開城。徳川氏の城となるも、家康が関東に移封されたため、同城には豊臣家臣の山内一豊が入り、城も改築されました。徳川家康が上杉征伐から関ヶ原へと向かう小山評定の際に、真っ先に一豊が開城を申しました。江戸時代には主に太田氏が城主を務めますが、幕末の地震で天守を含む建物が倒壊。天守以外は再建されたものの、天守は1994年にやっと再建されました。日本初の木造復元天守です。二の丸御殿が国重要文化財です。

■愛知県

43.犬山城 (愛知県犬山市) [現存12天守・国宝]

日本最古の現存天守

犬山城

1537年に織田信康によって建てられました現存する日本最古の天守を持つお城です。織田氏の城でしたが、1590年に豊臣氏の城となり、関ヶ原の戦い以後は徳川氏の城となりました。1617年以降は成瀬家9代の居城となりました。明治な廃藩置県により廃城となり、天守以外は撤去されたものの、成瀬氏の個人所有となったこともあり、天守は残り現存しました。

44.名古屋城 (愛知県名古屋市)

尾張名古屋は城でもつ

名古屋城

1615年に徳川家康が築城。以後、徳川御三家の尾張徳川家17代の居城として明治まで続きました。天守にある金の鯱が有名で、天守は史上最大の延べ床面積を誇りました。城郭として国宝第一号に指定されましたが、1945年の名古屋大空襲で天守を含む多くの建物が焼失。1959年に鉄筋コンクリート構造で天守が再建されました。国重要文化財。

45.岡崎城 (愛知県岡崎市)

徳川家康誕生の城

岡崎城

1531年に松平清康が城主となり入城。1542年に同城で徳川家康が誕生。1549年に今川氏の支城となるも、1560年の桶狭間の戦い以後に松平元康(後の徳川家康)が岡崎城を取り戻し、今川家から独立しました。1570年、家康は本拠地を浜松城に変えた際には嫡男の信康が城主となりましたが、信康が自刃した後、重臣の石川数正らが城代を務めました。1590年に家康が関東に移封されると豊臣家臣の田中吉政が入り城郭を拡張し、東海道を城下に引き入れました。江戸時代には神君出生の城として譜代大名が城主となりました。1873年に廃城令により建物が撤去。1959年に鉄筋コンクリート造の天守が再建されました。

46.長篠城 (愛知県新城市)

長篠の戦いが行われた城

長篠城跡

1508年、今川家臣の菅沼元成が豊川と宇連川が合流する断崖の上に築城。1575年に徳川家康が奥平信昌が城主になり、500の兵で15000の武田軍と対峙。長篠の戦いが行われました。長篠の戦い以後は、城が損壊したこともあり廃城となりました。現在は城跡に新城市立長篠城址史蹟保存館が建てられ、当時の様相を知ることができます。国史跡。

■三重県

47.上野城 (三重県伊賀市)

藤堂高虎 居城の城

上野城

1585年、豊臣家臣の筒井定次が築城。関ヶ原の戦いを経て江戸時代に入り、1608年に藤堂高虎が入城。城を大幅に改修しました。大阪の陣の後は、支城となり藤堂氏が城主を世襲しました。1869年に廃城令で建造物が破却されましたが、1935年に模擬天守が再建されました。国史跡。

48.松坂城 (三重県松坂市)

蒲生氏郷が築城した城

松坂城跡

1588年に蒲生氏郷によりわずが3年で築城されました。1590年に氏郷が会津に移った後、服部一忠、古田重勝らが入城。1619年に古田氏郷が転封となり、以後は紀州藩の藩領として城代が置かれ、そのまま明治時代を迎えました。建物は損却しましたが、壮大な石垣が残り、往時の姿を伝えています。国史跡。

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