関東といえば、日本三大奇襲の舞台で北条氏の名を一躍広めた川越城や北条氏の居城の小田原城、そして、北条氏悲劇の城の八王子城など、関東の雄たる北条氏にまつわる城が多いエリアです。また、江戸城や足利氏宅跡(鑁阿寺)など、徳川幕府、室町幕府など発祥地として歴史に名を残す城もあります。
1.水戸城 2.足利氏宅跡(鑁阿寺) 3.箕輪城 4.金山城 5.金山城 6.鉢形城 7.川越城 8.佐倉城 9.江戸城 10.八王子城 11.小田原城
■茨城県
14.水戸城 (茨城県水戸市)
高低差50mの空堀
戦国時代は常陸の大名の佐竹氏の居城として、そして江戸時代は水戸徳川家の居城となりました国内最大級の土の城です。9代藩主の斉昭により藩校の弘道館や、日本三名園の偕楽園が開かれました。1945年に天守に相当しました巨大な三重櫓を戦災で焼失。2020年に大手門が復元されました。特に高低差50mの各空堀の壮大さが見どころです。国特別史跡。
■栃木県
15.足利氏宅跡(鑁阿寺) (栃木県足利市)
足利氏の氏寺
栃木県足利市にあります足利氏の氏寺の鑁阿寺は、もともとは足利氏の館で、1197年に皆も頼朝の義兄弟でもあります足利義兼によって建てられ、館の周囲には土塁と堀が廻らされています。ちなみに鑁阿は義兼の法名になります。本堂は国宝に指定されています。国史跡。
■群馬県
16.箕輪城 (群馬県高崎市)
各大名の有力家臣が城主として配置された城
1512年に同地を支配していた長野業尚が築いた東西500m、南北1,100mの広大な河岸段丘の地形を生かして作られた平山城で、その後、武田氏、織田氏、北条氏などの有力家臣が城主として配置され、箕輪(現高崎市)を拠点とした北関東攻略の地として重要視されたお城です。1590年に徳川家康家臣の井伊直政が入城するも、高崎城に移封となり1598年に廃城となりました。現在は、石垣・土塁・空堀などの遺構が残っています。国史跡。
17.金山城 (群馬県太田市)
国内最大規模の城
群馬県太田市の標高235.8mの金山に建てられた東西3.1km、南北3.8kmという国内でも最大規模の敷地を持つ山城で、上杉謙信が5度攻めるも落城することがなく、難攻不落の代として関東七名城のひとつに数えられています。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐時に落城し廃城となりました。関東の山城には本格的に石垣は用いられていないとされていましたが、同代は石垣が多く用いられていて、その定説を覆した城でもあります。国史跡。
■埼玉県
18.鉢形城 (埼玉県寄居町)
北関東支配の拠点城
荒川と深沢川に間にあります断崖絶壁の上に築かれた平山城で、武田信玄や上杉謙信の猛攻にも耐えた城です。戦国時代に北条氏邦によって拡張され北関東支配の拠点ともなった城で、関東有数の規模を誇りました。1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの際に前田利家・上杉景勝群に包囲されましたが、1ヶ月にも及ぶ籠城後、開城致しました。当時の城郭が比較的綺麗に残されていて、国の史跡にも指定されています。鉢形城公園として開放され、園内には鉢形城歴史公園が設けられています。国史跡。
19.川越城 (埼玉県川越市)
日本三大奇襲の舞台
1457年に太田道灌によって築かれた城で、戦国時代には上杉氏から北条氏の城となり、1546年には北条綱成が約3000人の城兵と共に5〜8万上杉連合軍の大軍を前にして半年以上籠城し、約8000人の兵を引き連れ救援に駆けつけた北条氏康とともに上杉軍に夜襲をかけて、当主の上杉謙朝定を討ち取り連合軍を撃退。これが日本三大奇襲、また日本三大夜戦のひとつに数えられます河越夜戦です。その後は武蔵国支配の拠点として北条氏が治めるも、1590年の小田原征伐後、徳川氏の家臣が城主となりました。江戸時代には城下町が形成され、現在、小江戸と言われるような町並みが作られました。
20.佐倉城 (千葉県佐倉市)
老中輩出の数は全国の藩で最多
1610年に佐倉に封ぜられた土井利勝によって築城。北に外堀の一部ともなった印旛沼、西と南に鹿島川、高崎川という地の利を活かして作られ、東側には城下町が広がりました。江戸時代は佐倉藩の藩庁が置かれて、その大部分を堀田氏が治めたほか、歴代の佐倉城主のうち9名が老中になり、その数は全国の藩で最多になります。明治維新後の廃城令によって建物は撤去され、その後、帝国陸軍の駐屯地になりました。現在は佐倉城跡は佐倉城址公園となり、国立民俗歴史博物館が建っています。西側の台地部分は保存状態が良好で当時の城の地形を見ることができます。
■東京都
21.江戸城 (東京都千代田区)
江戸幕府 徳川家の居城
鎌倉時代に江戸を制していた江戸氏が没落した後、1457年に上杉氏家臣の太田道灌が築城しました。その後、北条氏の支配下となり、豊臣秀吉の小田原攻めの際に開城し、北条の後に関東に入った徳川家康の居城となりました。以後は徳川家康により改修増築されました。1657年の明暦の大火で天守を焼失した後は天守が再建されることなく、1868年に幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛による会談により江戸城を無血で開城し、以後、皇城(皇居)となっています。桜田門、田安門、清水門が国の重要文化財。国特別史跡。
22.八王子城 (東京都八王子市)
悲劇の城
北条氏康の三男の氏照が、1587年に現八王子市にある標高445mの城山に建てた関東屈指の山城です。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際に、前田利家、上杉景勝、真田幸隆らが率いる1万5千人が城を攻め、落城。城内にいた婦女子が自刃し近くの滝に身を投げたことから、悲劇の城とも言われています。その後、北条氏に代わって領主となった徳川家康により廃城となりました。比較的良好な状態で遺構が残っていますため、当日を偲ぶことができます。国史跡。
■神奈川県
23.小田原城 (東京都小田原市)
北条氏五代の居城
戦国時代に北条氏五代の居城となった平山城で、上杉謙信や武田信玄の攻城にも耐えた、小田原の町を含む約9kmもの土塁と空堀で取り囲んだ難攻不落の巨城です。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐において、3ヶ月の籠城戦の上、開城しました。その後、徳川家康家臣の大久保忠世が城に入り、江戸時代は小田原藩の藩庁として大久保氏の居城となりました。明治になり城内の建造物は取り壊され、1960年に鉄筋コンクリート構造の天守が再建されました。国史跡。