北海道(日本100名城)

五稜郭

北海道は戦国時代は蠣崎氏や松前氏などが居りましたが、南の渡島半島を中心に活動をしており、北海道の大部分は蝦夷地としてアイヌ住民がそのほとんど占めており、城を築いての戦争はあまり行われておらず、城跡は他地域に比べてかなり少ないです。それでも、新政府軍と幕府軍が戦った最後の地である五稜郭は、星型の西洋式城郭で国内では珍しい型で一見の価値ありのお城です。

1.根室半島チャシ群跡 2.五稜郭 3.松前城

1.根室半島チャシ群跡 (北海道根室市)

アイヌが残したチャシ跡

根室半島チャシ群跡

根室にあるアイヌ族が作った施設でありますチャシ24箇所の総称です。チャシ自体は砦や見張り台としてのほか、聖地などとしても使われていたそうです。空壕の遺構があります。国史跡。

2.五稜郭 (北海道函館市)

戊辰戦争最後の戦地

五稜郭

江戸時代末期の1866年に江戸幕府が蝦夷地の政治を行う場所として西洋の城郭都市をモデルとして建築したお城で、箱館御役所(奉行所)が置かれましたが、2年後の1868年、戊辰戦争時において、旧幕府軍の新選組副長の土方歳三により占拠され、明治維新動乱の最後の舞台となりました。しかし翌1869年、新政府の軍艦甲鉄のアームストロング砲による五稜郭への艦砲射撃により五稜郭は陥落。陸軍の練兵場を経て1914年に公園として一般開放されました。五稜郭タワーより城の全貌を望むことが出来ます。国特別史跡。

3.松前城 (北海道松前町)

江戸時代末期に造られたお城

松前城

江戸時代末期の1855年に諸外国からの海防強化のために、江戸幕府に命ぜられて松前藩が築城したお城です。明治維新時の箱館戦争で旧幕府軍の土方歳三により攻め落とされるも、翌年、新政府軍が奪還。その後、取り壊しや焼失などがあり、現在は国重要文化財の本丸御門や北海道有形文化財の本丸表御殿玄関などが残っていて、松前公園として1万本の桜が植えられていて日本さくら名所100選にも選ばれています。国史跡。

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