■三増峠の戦い~武田軍 vs 北条軍

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戦国史上最大の山岳戦

今から遡ること450年前の1569年10月、相模国の三増峠の麓で、戦死者数4,000人とも言われる武田軍と北条軍との壮絶な戦がありました。地形の高低差を活かした戦国史上最大の山岳戦です。

三増合戦場碑〜武田家史書「甲陽軍鑑」によると、同戦の戦死者は北条方3,269人、武田方900人と記されている程の大激戦が繰り広げられたそうです。

周りにはゴルフ場が点在し、のどかな風景が広がる神奈川県愛甲町三増。ここで、今からちょうど450年前の1569年に武田軍と北条軍が戦い、双方が多くの損害を出した戦国史上最大の山岳線「三増峠の戦い」がありました。

同戦から遡ること9年前の1560年に、桶狭間で当主の義元が織田信長に討たれて以降、急速に力が衰えていった今川氏の駿河国を、1568年に甲斐国の武田信玄が侵攻。関東の覇者北条氏康は今川に加勢し、それによりそれまで武田、今川、北条で結んでいた甲相駿三国同盟が破棄され、武田と北条は一転して敵対することになりました。

1569年、武田信玄は2万の群勢を率いて碓氷峠を越え、関東にある北条の各城を攻撃。そして 10 月に北条氏の本拠地である相模国の小田原城を包囲するも、その4日後に撤退。甲斐国に帰還します。その武田軍を奇襲して、挟撃しようとした北条軍との戦いが、三増峠の戦いです。高台が有利とされる山岳戦。武田軍の進行を予期して三増峠の高台に前もって陣取っていた北条氏照・氏邦軍。峠の先には自軍の筑井城、武田軍の後ろには当主北条氏康の本隊が迫っていて、北条軍は必勝の布陣を備えていました。

津久井城(筑井城)~内藤氏が城主を務め た山城。三増合戦場から程近いですが、同合戦前夜に志田峠を越えた武田軍別働隊が、城下のトウモロコシに提灯をつけて武田軍の松明のように見せかけるなどして津久井城兵を城下に足留めさせました。以降、穂が垂れたモロコシをシンゲンモロコシと呼ぶようになったとか。

津久井山山頂より。合戦当時には無かった津久井湖の眺望がいいです。
山中には、軍神の飯縄権現を祀った飯縄神社があります。
戦国時代の伝達法の狼煙を上げたとされる烽火台跡とも。
山中なのに何故か枯れることなく水をたたえる宝ヶ池。

しかし、武田軍が三増峠ではなく、西の志田峠から撤退しているのを見た北条軍の猛将北条綱成が高台を降りて武田軍を追い始め、それにつられて主力の氏照・氏邦も下山。戦いの火ぶたが切って落とされました。

当初は勢いに乗った北条軍が押していましたが、志田峠を超えて撤退したはずの武田軍の勇将 山県昌景隊5千の兵が戻ってきて北条軍を高台より迎撃。武田信玄本隊も平地に降りてきた北条軍に対して逆に高台を取り北条軍を撃破sいました。さすがにこの辺りの戦さの妙は、山岳戦を得意とする信玄ならではです。

信玄の旗立て松がある高台より三増合戦場跡を臨む。戦場、 戦局が一望できる好展望地で、現在、ゴルフ場内にあり時の移り変わりを感じますが、しかし、同戦いの4年後に死没する武田信玄が、よくこんなところまで登ったな、と思うだに感慨深いです。

武田信玄の旗立て松〜武田信玄が大将旗を立てたと言い伝えのある松ですが、現在の松は二代目になります。
首塚〜志田峠から下って来た山県昌景隊が北条軍を背後から討った場所とされる場所。同地に戦死者の首が葬られました。
首洗池~武田軍が討ち取った三千余の北条方の首を首実検の為に洗ったといわれる池。 合戦地から14kmも離れていて、信玄がいかに帰路を急いだかが分かります。

小田原城より当主の北条氏康・氏政本隊2万も三増峠に向かっていましたが、戦場に来る前に決着がついてしまったため、途中で引き返しています。本隊が間に合っていれば、信玄 vs 氏康という戦国屈指の名将同士の戦いが起きていたはずですが、たぶん信玄はそれを見込んでの早めの誘導策略であったに違いないでしょう。

戦勝後、いち早く戦場を後にした武田軍は、道志川を超えた自国に近い場所でやっと勝ち鬨を挙げたといいます。

同地で討死にした武田軍武将の浅利信種が祀られている浅利明神。

◇三増峠の戦い(三増合戦)戦況図

①関東の滝山城城主(八王子)北条氏照、鉢形城城主(寄居)北条氏邦、玉縄城城主(鎌倉)北条綱成ほか、総兵数20,000とも言われる北条軍は、武田軍が三増峠を通って甲斐国に戻ると察知し、事前に戦いに大変有利な高台に陣形を取り、小田原城からの援軍との挟み撃ちを予定。

②しかし、三増峠の北条軍の動きを知った武田軍は、山県昌景隊5,000を三増峠の西の志田峠に向かわせ、罠として荷物を運ぶ小荷駄隊をそのまま三増峠方面に進めました。それに乗った北条綱成隊が高台から下って攻撃。それに合わせて、他北条軍も下山して武田軍を攻撃。

③当初は勢いに乗る北条軍が押し、武田軍左翼の浅利信種は北条綱成隊の銃撃により戦死。但し、志田峠から戻って来た山県昌景隊が高所よ り北条軍を挟撃。信玄本隊も高所に陣取り、気がつけば北条軍は低地にいて高低差が入れ替わ る結果になり、武田軍の勝利となりました。

◇卵菓屋~三増合戦城碑の近くにある、神奈川県中央養鶏農業協同組合が運営する新鮮タマゴの直売店。 卵の直売はもちろん、たまご料理やオリジナルスイーツなども販売していて、店内でも食べれます。 定休日なし 8:00〜18:00

とろとろオムライス(600円)
たまごかけご飯(200円)
きいろいソフト(140円〜)
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